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東京高等裁判所 昭和54年(う)1385号 判決

控訴人 被告人

被告人 鈴木義隆

弁護人 五味和彦

検察官 今野健

主文

本件控訴を棄却する。

当審の未決勾留日数中六〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人五味和彦の提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事今野健の提出した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、いずれもこれを引用する。

控訴趣意第一点について

所論は、原判決は被告人の本件所為に対し、印紙犯罪処罰法一条前段を適用して被告人を処罰したが、右法条は「帝国政府ノ発行スル印紙」を偽造した者を処罰する規定であるから、右法条に「帝国政府」とあるのを「日本国政府」と読み替える規定が示されなければ、右法条のみに基づいて、日本政府発行の印紙を偽造した被告人の本件所為を処罰することは、許されないものと解すべきである。そして、以上の主張が正当であることは、昭和二二年の刑法改正の際、刑法一条一項につき、それまで法文に「帝国」とあつたのを「日本国」と改めるだけのために、わざわざ右法条の改正が行なわれたことなどによつても明らかというべきであるから、結局、原判決には理由不備ないしは判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがあるものというべく、原判決はこの点において破棄を免れないというのである。

よつて考察するに、原判決が印紙犯罪処罰法一条前段を適用して、被告人の本件日本政府発行の印紙を偽造した所為を処罰したものであること、及び右印紙犯罪処罰法一条前段の法文は、行使の目的を以て「帝国政府ノ発行スル印紙」等を偽造又は変造した者を処罰する旨を規定しているものであることは、いずれも所論指摘のとおりである。そこで、所論が、右印紙犯罪処罰法の法条に「帝国政府」とあるのを、「日本政府」と読み替える規定を示さないで、同法条のみによつて直ちに、「日本政府」の発行する印紙を偽造した被告人の本件所為を断罪するのは許されない、と主張する根拠としているところ、すなわち、昭和二二年法律一二四号刑法の一部を改正する法律によつて刑法一条が改正された事情について調査、検討するに、なるほど、右刑法の一部改正法律によつて、刑法一条一項中「帝国内」とあつたのが「日本国内」に、同条二項中「帝国外」とあつたのが「日本国外」に、「帝国船舶」とあつたのが「日本船舶」にそれぞれ改められ、その結果、それまで同法一条の法文に用いられていた「帝国」という用語が、右改正法律により、「日本国」もしくは「日本」という用語に改められたことも、これまた所論指摘のとおりであるが、右改正の事情については、これより先、わが国の基本法典である憲法の改正が行なわれた際、その題名が「大日本帝国憲法」から「日本国憲法」に改められ、「帝国」という用語が憲法から一切姿を消すに至つたので、このように国の基本法典において「日本国」という国の呼び方が用いられるようになつたのに即応して、刑法においても、右憲法の改正に伴つて行なわれた前記昭和二二年法律一二四号による改正の機会に、刑法一条につき「帝国」とあつたのを「日本国」もしくは「日本」に改めることとされたものであることが窺われる。これに対し、印紙犯罪処罰法は前記憲法改正以後その改正が行なわれる機会がなかつたため、その法文中の「帝国政府」という用語がそのまま存置されて現在に至つているものと思われる。しかし、刑法一条における右の改正も単なる国の呼称の改正に過ぎないのであつて、「帝国」もしくは「帝国船舶」といい、あるいは「日本国」もしくは「日本船舶」というのも、その意味する実体には何ら変りがないのであるから、右改正はその限りにおいては全く実質に関係のないものといえるのであつて、この改正のゆえに刑法一条の適用に差異を生じたということは全くなく、従つて、同法改正の実際においても同法一条の改正に関しては、これに対応する経過規定は、これを必要としなかつたのである。刑法一条の改正における以上の関係は、印紙犯罪処罰法についても同様であつて、「帝国政府」というも「日本政府」というも要するにわが国の政府のことであり、従つて、「帝国政府ノ発行スル印紙」というのも「日本政府ノ発行スル印紙」というのも所詮わが国の政府の発行する印紙を指称するにほかならず、それぞれ全く同意義であり、その意味する客体は異ならないのであるから、原判決のように、印紙犯罪処罰法一条を適用して日本政府の発行する印紙の偽造を処罰することは、何ら妨げのないところであるというべきであり、このために特別に読み替え規定を必要とするいわれは全く存在しない。なお、昭和二三年大蔵省告示三九号により、「帝国政府」の文字を使用した従前の収入印紙の形式が、「日本政府」の文字を使用した形式に改められるとともに、従前の形式の収入印紙については、当分の間これを使用することができると定められたことは、所論の指摘するとおりであるが、これも結局、その前年に上記の憲法改正が行なわれたことに即応して収入印紙の形式が改められたに過ぎないものと考えられるとともに、これにより一旦収入印紙の形式が改められれば、その後は従前の形式による収入印紙と新形式による収入印紙と、形式の異る二様の収入印紙が生ずるに至るのであるから、その改正の際に、従前の形式の収入印紙の効力に関する経過的規定を設ける必要の生ずることは当然であつて、この場合に右の経過規定が設けられたからといつて、直ちに本件の場合についても、「帝国政府ノ発行スル印紙」の偽造等を処罰することを定めた印紙犯罪処罰法をもつて、これと同一物である日本政府発行の収入印紙の偽造行為を処罰するためには、別個に「帝国政府」を「日本政府」と読み替える規定を必要とするというべきいわれは毫も存しない。そして、大正九年勅令一九〇号印紙をもつてする歳入金納付に関する勅令が昭和二三年法律一四二号印紙をもつてする歳入金納付に関する法律に改められたのは、前記憲法の改正により右の勅令によつて規定されていた内容が、日本国憲法の下においては法律をもつて定めるのを相当とする事項とされるに至つたことによるものと考えられ、また、右法律が、その附則七項によつて、従前の勅令に基づいて定められた収入印紙の形式等は、この法律の規定によつて定めたものとみなす旨規定しているのは、右法律によつて従前の勅令(大正九年勅令一九〇号)が廃止されることに伴う措置にほかならないことは明らかであるから、これらの事実は印紙犯罪処罰法一条の適用に関する所論の主張とは全く関連性がなく、従つて、所論の主張を何ら裏づけるものでないことも、これまた同様である。これを要するに、原判決には、所論のような理由の不備もしくは法令適用の誤りのいずれも見出し得ないから、論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について

所論は、原判決の被告人に対する量刑が重過ぎて不当であるというのであるが、被告人は、その経営する会社の営業が不振に陥り、多額の負債をかかえて金策に苦慮するに至つた結果、その資金捻出のために一かく千金を狙い、原審相被告人中澤徳温及び同井川友三と共謀のうえ、日本政府発行の金額一〇〇円の収入印紙一〇〇枚を一シートとしたものを約一五、〇〇〇シート印刷して偽造したというのであつて、事業資金捻出のため一挙に大金を入手しようとしたその動機といい、印紙のもつ公共の信用を害する危険性の極めて高い罪質といい、偽造印紙の数量の莫大であることといい、その犯行の罪質、動機、態様のいずれの点からみても、その罪責の軽くないことはいうまでもない。そのうえ、被告人には、昭和四五年三月三〇日名古屋地方裁判所岡崎支部において猥せつ文書等販売の罪により懲役六月、三年間執行猶予の判決を言い渡され、後日右執行猶予が取消されてその刑に服し、また、同年一二月一七日長野地方裁判所諏訪支部において、詐欺罪により懲役二年六月の判決の言渡を受け、昭和四八年にその刑の執行を終つたという各前科を有するほか、同じ頃銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪により罰金刑に処せられた前歴のあることが認められ、しかも、被告人は、従前の事件で未決勾留を受けていた際の同房者である相被告人中澤と協力して、本件犯行に及んでいる事情を加えれば、原判決の被告人に対する刑の量定は十分首肯することができる。そして、被告人は相被告人中澤と語らつて本件犯行を計画し、同人らの印刷の知識及び技術や労力の提供を受ける一方、被告人においては鳥取市内に工場、借家を借受け、同所における相被告人らの生活の面倒をみるとともに、印刷機械や資材の購入資金を提供し、相被告人らが犯行の途中から脱落した後も、自らの手で偽造した印紙にミシン目を入れようとしたり、印刷機械を修理したり、偽造した印紙の売渡先を探すなどしている状況が認められ、偽造収入印紙を処分した場合の利益の配分についても被告人が主導権を握る立場にあつたことは、十分これを窺うに足りるから、原判決の被告人に対する科刑が、相被告人中澤に対するそれに比較して著しく不当であるとも考えられない。そして、以上の情状に鑑みれば、被告人において、共犯者が既に逮捕され自身に対しても指名手配がなされていることを知つた後とはいえ、警察署に自ら出頭することを電話で申出た経緯や、被告人の家庭の事情など、被告人のために斟酌すべき事情を考え合わせても、被告人に対する原判決の科刑を軽減したり、刑の執行猶予を付したりする余地は認め難いから、量刑不当の論旨もまた理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を適用して、主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官 四ツ谷巌 裁判官 杉浦龍二郎 裁判官 阿蘇成人)

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